2012年8月28日火曜日

「障害」と「支援」


2012年8月28日 平出 田鶴子

 社会学者の星加良司氏の見解によれば、一言で「障害」とは、社会現象であるとおっしゃっている。障害者は「手足が動かないことによって、不利益を被っているのではなく、手足が動かないと困るような社会であることによって不利益を被っているのだ」と当事者は主張したのである。

 社会現象に対応する社会的対応の中には、制度も人的サービスも含まれているわけである。制度には、時の政治感覚や財政の制限も深く受ける。人的サービスについても、障害者と非障害者との間に厳密な相補人間関係が存在する。障害者からするならば、非障害者に対しては「ただ手足になってくれればいいんだよ」という場合もありましょうが、精神障害に至っては、障害に至った原因もまた、文明社会現象の影を大いに宿しており「自己決定」は医療の連携を欠かすことが出来ないし、かといって歴史的にわが国は医療偏重の影響の中から、福祉、介護の未然さをつくづくと思い知らされながら、私は実践現場を経験している。

 自立支援法という現法の中で、共同生活介護(ケアホーム)の「らら」「りり」」「るる」の三障害の障害者の夜と朝、そして生活介護、就労継続Bのつまり、多機能型の昼間の自立支援に向けて、この4年間は日々、我とわが身の闘いの連続であった。一人一人の成育歴と医療歴と、素質と年令差と、三障害者への支援の最も具体的な悩みは、高齢福祉介護とは、全く別の理念と観察力を持っていなければ、役に立たないのだと言う処までに至ったことである。

 健常者の高齢者ならば、「自己決定」というものは、最も尊重されて、しかるべき原則ではある。けれど、星加氏は「ディスアビリティ解消の実践と論理」の項で、ある障害者は「自己決定」ばかりやっていると「自己中心になってしまう」と言う言葉を発見して、私はハタと手をたたいたのである。

 私は「らら」「りり」「るる」「つるの里」の実践現場で、支援員さん達にこの頃こう言い切ることにしている。対象者さんには「良いことは良い」「「悪いことは悪い」「右は右」「左は左」とはっきり対話をもって対応する。当事者には「自己中心」に至らない「自己決定」の規範を持って選んで頂く必要を痛感する。高齢者介護における優しい手を出すサービスよりも、毅然とした「視力」と、心を開いた「聴力」とが習慣的にスピード性をもって保たれる必要があるのである。

 障害者・当事者の例からするならば、こちら側は空気のようなものであってよいのであろうけれど、支援する側は素人であっては、これは実行不可能であろうと思う。それなりの訓練を繰り返していきたい。しかしプロの始めは皆素人である。素人とて、障害のあるなし関係なく、人に笑顔で接すること、対面することは誰にでも出来るのである。

2008年2月25日月曜日

障害者支援現場にプロの手を

2009年9月吉日   平出 田鶴子

   「幸せをもう一つずつ」  ― 介護のプロになる本 ―
 神奈川新聞社出版部の御努力により、お近くの書店、新聞販売店にて販売が始まりました。

 介護の世界で働いて居られる方々、ご苦労様です。 これから介護にかかわる方々、待っています。
人が人を支える仕事は人間の本能からは程遠いものです。特に食べられる世の中になった私共日本人は、「私は幸せなのに・・・・・・不幸せな人が居てよいものだろうか?」と考える迄には時間がかかります。勇気や理念も時としてぐらつきます。訓練を重ね、失敗もくりかえしそれでも活動しつづけて「まこと」 が見えて「自己実現」に至るのかなぁと―。 素晴らしいプロに出会えたとき、私はまばゆい想いをいたします。50年の現場人としての3冊目の本です。

 介護保険法や自立支援法が生まれ、お客様よばわりされても、高齢者やその家族、障害者やその家族は果していまお幸せなのかなと 片時も目を離さずに努めてまいります。
皆様にこの一冊が、一歩明るい未来を築かれますように、祈りを込めて贈ります。


2009年5月7日

   ブログから本の出版へ

 介護保険制度が始まって、第1回の3年目の制度改正に向って、介護現場からの声をお届けする意味で 「ホームヘルパーが支える介護現場」 を出版しましてから今年は7年目になりました。
ケアマネジャーの声もお届けしなければならないし、高齢者の問題だでけでなく、障害者や子育て支援や、地域の特性を含めたご利用者様のお立場も、明治、大正、昭和と年代を重ねた時、社会性、時代性が様々に異なってまいっていると存じます。

 アメリカの住宅金融問題に始まった不況の影響を受け、「製造業での失業者が増えたからと云っても、介護現場の人材は増えませんよ」 とよく言われるのですが、介護現場はキツイ、キタナイ、ヤスイと云ったイメージがどうもおかしいのです。 おかしい原因も私達は判っていますので、そこを含めて
「 幸せをもう1つづつ-介護現場のプロからの贈り物-」 を秋までに版行する運びとなりました。解かりやすいものにしますので、どうか手にとって読んで頂ければ有難く存じます。

2009年5月5日

 障害者と家族

 純粋に人間力の持つ 「遊びたい」 「知りたい」 「学びたい」 「働きたい」発露に具体的な支援が得られないで、障害者は悩んでいます。抑圧され、差別され、利用され、放置されることも多いのです。
「一緒に」 と云う処がむつかしいので 「わがまま」とか 「勝手」とか言われています。ますます自分の世界に閉じこもり、薬づけにあっている人も多いのです。よく家族の協力を促されるが、私は成人年齢に達した場合、なるべく家族はいい意味でも、悪い意味でももう少し客観的な立場に立たせてもらえないものかと思うのである。家族はプロのネットワークが世の中に無いからいつまでも関わらなければならないのです。家族は障害者にとって「逃げ場」でもあるが、格好の自立支援を阻む者でもあることを知らなければならなりません。家族にはエゴも限界があります。

 障害者の個別性を早くから受容させる必要があり、プロの支援者のネットワークが特別支援学校や、医療機関も含めて必要なのです。それは、かならず家族から信頼を寄せられるものでなければなりません。グループホームや作業所の職員は家族の対応において、ケース毎にあまりにも大いなる違いにとまどい、独り親もまた多いのを知ることとなるのであるが、それは健常者を育てる場合と大いに違い
社会差別を親の側も沢山経験し、その経験の痛みの中から生まれる一種独特の関心が異なる。
苦難の途の年月が長ければ長い程「この子を残して死ねない」と云いつつ、老いてゆく。これは何とかしなければならないのである。優れた他人の支援者のネットワークが必要となります。障害を負っても、人間の尊厳の前に愛され、理解され支えを受ける時、いつでも人は素直になれるのではないだろうか?長寿社会は、障害者も同じなのだから。

2009年3月30日

 障害者自立支援法の現場 その2

 20歳の女性のこんな事例に遭遇しました。高校2年ごろからいじめに遭い、リストカットと異性交渉を重ね医師からは人格障害と診断され、精神病院に3年間入院しようやく社会復帰を致しました。それから約3ケ月目でした。メールで異性にアタックして、乗ってこられた51歳の男性の許に走りました。「一晩中手枕をして頂いたやさしさがうれしかった」と。そうして母親は「今まであなたにはどんなに困らされたかわかりゃしないよ。お母さん自身自分をどうしていいかわからない。あなたを受け入れることが出来ない。」しかし母親は地区のソーシャルワーカーと共に精神科の医師のカウンセリングと診断を受けるために病院の予約をとっています。その間ご本人は仮の入院をしてまた社会復帰に向おうとしています。

 この事例に表われていますように、家庭や医師、病院だけであるいは地区のソーシャルワーカーの尽力を加えても、これからの彼女の人生を幸せに向わせるには、沢山の社会資源、人的資源を必要としている現実があります。これ程、福祉系専門学校、大学が増えていますし、ホームヘルパーの養成機関も修了生を出していますが障害者への対応として、実践現場で本当に踏ん張って他者理解を可能にされて居られる方がまだ不足しています。

 マスメディアの云う処の、介護現場はまるできつい、給料が安い、人が少ないとそういう云われ方というものは、いつも働いてお金をもらうということの発想の言葉であり、決してご自身がかかわろうとされない方々の発言のようにしか思われません。障害者の立場に立った支援者としてならばフォーマル、インフォーマルを問わずまず「いくらもらわないとやらない」という発想からではなく、此処に泣いている人がいるから涙をぬぐうハンカチを差し出すといった簡単なかかわりかたがあるのです。障害者と家族への支援の本質が必要です。

2008年10月21日
     
 障害者自立支援法の現場

 自立支援法における支援区分の1~6区分と、介護保険法のおける支援区分の要支援1,2要介護1~5とは区分認定の方法において役所の権限が大いに違います。此処に現場が強くならない原因が含まれています。現場の質が向上する為には、現場が開かれたものであって、金と権力から離れた処から第三者評価を受けることも大切でしょう。知的障害、精神障害に至っては、本人と家族の力関係もあって、真に高度なプロフェッショナルな実践と研究が繰り返されない限り,障害がより深まってゆくような環境になっている場合も多く存在しています。

 大学や大学院等の研究機関に、出来れば教授クラスの医学や心理学、社会心理、社会福祉、法律研鑽者の優秀な人材が、いつでも障害現場に出入りしながら、行政とかけあい、何を公募で、何を自費で負担し、誰がどう対応して、障害を軽くさせるかのチームワークを計らなければ効果は上がりません。
自宅もしくはグループホーム、ケアホームと昼間の作業所、授産所、ディケアー等との連携のもとに、人的資源が何よりも欠かせません。それは差別でも、逆差別でもなく人は長生きをすれば、高齢者になるのが当然のように、健常夫婦から障害者が生まれたり、中途障害になったりすることが、当たり前の世の中に私共は住んでいます。

 かって親や夫の介護に半生をかけたと云うお嫁さんや、娘が表彰された時代がありました。今や「介護」が美談になりえないこととなったように、障害者こそ核家族の少人数の中で「この子のために私は美容院に行ったこともありません。」そして「お世話になります。」「すみません」と親子一体感の強い我が国にあっては、成年年数をはるかに超えてもなお、家族をあてにする障害者制度の見直しを必要と考えながら、私はケアホームを経営しております。

2008年9月10日

 要介護状態の65歳以上の方々の中に、障害を持っている方は60%以上いらっしゃいます。この方々は介護保険法で対応出来るのですが、若年障害者、児の方々については、自立支援法となって措置の時代を脱しましたが、一割負担とは言え、障害者が大きなお金を稼げる人は良いのですが、知的障害も精神障害も身体障害も、障害故に収入の途が途絶ええている場合が多く、サービスの自己負担分を支払うのに困難をきわめることも多々あります。

 憲法でいうところの成人20歳を過ぎていても、親兄妹に支払い能力がある場合は、どのように高齢になってもこれら肉親が障害者の肩代わりをして支払ってあげています。一方では、親、肉親は20歳を過ぎて、作業所や授産所に対しても、我が身が本人に成り代わって、身をちぢめて対応されているのを見るのです。

2008年8月20日
 
 親の立場【これは日本人の特徴なのでしょうが】からすると、自分が死んだ時、安心して頼みにできる人や作業所やケアホーム、グループホームがあればいいなぁと思っています。ソーシャルワーカーで、詩人でいらっしゃる東京の「ゆきわりそう」の姥山会長さんと職員さんの20年にわたる足跡を拝見していて、全国に民間のこう言う組織が大切なのだと深く尊敬しております。

 少なくとも、障害者に携わって働く人は、介護保険制度における最低でも2級のホームヘルパー養成研修の必修が大切でしょう。障害者は、最もデリケートな自己保存精神を駆使して、必死で生きてゆこうとしています。もし相手が少々高圧的に出ても、無神経な健常者であっても、生きてゆく為の狭い選択世界の中で、息をひそめたり、高めたりしています。

 長寿社会の到来の中で、真にプロフェッショナルな職員の養成を必要とする時代がまいって居ります。

2008年1月27日日曜日

主任ヘルパー(サービス提供責任者)のリーダーの役割

 「訪問介護」に限ったことではありませんが、この仕事は、リーダーがやって示して同じことをやってもらうやりかたを持っていることが大切です。フットワークの軽さ、スピード性をもって「やり甲斐」を具体的に、人に見せてゆく必要があります。口先で命令するだけでは、「やらせ」であって「やらされる」側は「やってあげる」につながってゆくわけです。

 「質」が始めにあって、少しずつ「量」になって行けば、それはコムスン的介護業界スタイルは生まれなかったのですが、組織を大きくするために、人を犠牲にしてはならないのです。確か、措置時代、お役所でも、福祉理念を持ち合わせない方が、リーダー役で君臨してやっていた時代と、まるで結果は同じことになります。先頭に立つ者の人間生活支援活動の統率力が、次代につなぐ一本の道でありたいものです。

 組織活動コンサルタント原口一郎氏の言葉を借りるならば、リーダーシップの源は 「強制的、関係的 専門的、情緒的、地位的、好感的、情報的、実践的」 そして「人間性と」しての魅力もあります。どのような人にも欠点はあって、その欠点を補い合う関係性こそ介護の組織では大切でありましょう。

 我が国の場合、利用者さんとご家族との対応の仕方も、ヘルパーさん一人では困難なケースが多く、継続してゆくためには、サービス提供責任者の中間管理職としての出番が必要です。訪問介護や居宅支援では長い期間一家にかかわり続けているうちに一種の慣れ合いが生じて、慣れから甘えに転じ、公私の区別がつかなくなる場合として、主任ヘルパーの危機介入を要します。

2008年1月24日木曜日

主任ヘルパー(サービス提供責任者)の質の確保

 いわゆる訪問介護員10人に1人、又は450時間の活動時間に1人サービス提供責任者が必要と義務づけられています。しかし何故か、介護保険報酬の中にこの人間に対する加算はありません。おそらく今日、何処の事業所もこの人に対する報酬を何らかの工夫をして出していることでしょう。私共も、サービス提供責任者の力量によって、月々の手当てを工面しています。それこそこんなにむづかしい仕事はありません。

 訪問介護計画を作成し、実行する各ヘルパーさんに同行して指導し、実践状況を把握して、お客様のニーズと合致させる為に会話をし、又日々の変更を記録してゆく。お客様の都合、ヘルパーさんの都合によって人の代替を確実なものとするために電話を掛けまくる。サービス提供責任者の会議に出席し、ケアマネジャーとの折衝、打ち合わせを密につくすことで、ケアマネジャーさんへの計画変更のスピード化に寄与する。とくに女性の多い職場として、高年齢のヘルパーさんにタテの命令形式をもって執動させることはむつかしく、言葉づかいに至るまで心して対応しなければならないものであります。

 更に、主任ヘルパーさんの数を減らしている主たる原因は、ヘルパーさんを5年経験すれば(厳密には900日の実務経験)ケアマネジャーの試験を受けることができます。こんな大変なサービス提供責任者の仕事を放り投げてケアマネジャーになろうとします。

 一体介護福祉士さんも、栄養士さんも、歯科衛生士さんも 5年間の経験の中に「相談員」としての基礎スキルを身につける時間をどう持たれたのか。 試験に合格する為の3冊のテキストを学んで、6回の行政官の方々の講義を受けてケアマネジャーになられた方の中には、必ずしも適材であるかたばかりではなく、適材でない方もいらっしゃることになります。

 サービス提供責任者が、どれ程大切なリーダー役であるかの認識を世間様から、評価されるこなく、介護保険法施行時のケアマネジャー不足と、ヘルパーさんより高収入であろうとの予想で今日に至ってまいりました。ケアマネジャーさんの仕事の中にはサービス提供責任者さんのように、「人を束ねる」 リーダー力はそれ程必要ありませんが、その代わり、少なくとも医師が身体医療の癒しに向わせる医術を振るわれる如くに、社会的治療(トリートメント)に向わせるために、満足いただけるだけの高い知恵の裏づけが大切なものでありましょう。

 サービス提供責任者さんとして有能である方と、ケアマネジャーさんとして適材である方とは違ったものであります。いずれも人間関係の調整役としては、大人の感情関与が大切になってまいります。

2007年9月20日木曜日

 2007年の介護現場から

1.運営から経営への過渡期

 私は、2002年8月に、「ホームヘルパーが支える介護現場」を出版しました時、不十分な点を補って次号の発信を誓って居りました。

一つには現場からの視点が大切であること、二つには現場の「人」を大切に考えなければならないこと。この「人」は、受ける立場と、支える立場の両方の「人」の調和が大切だと記したものでありました。

 私の舌足らずな本で当時の料金表の訂正、用語の違いを正す意味を込めてケアマネジャー、ホームヘルパー、そして現場で働いておられるプロの皆様に愛をこめてこの一編をお贈りいたします。

まずは、今年上半期に起こった「コムスン」「ニチイ」「ジャパンケア」といった、世の中に云う処の介護事業大手と称する上場企業のコンプライアンス違反の行政からのテコ入れに、それまで無関心だった世間へ、不愉快な思いをさせてしまいました。折口社長さん外、2000年の介護保険制定以降、数名の経営者の思い違いから発する現場の混乱でした。

それ以前に、当時は私共の関係していたグループにおいても、看護部門から始まって、幹部は神経質になり、子会社や事業所に対する執要なコンプライアンス病が蔓延し、現場への圧力は感情的になり、汗を流して働いている真面目な実践家に被害的な負い目を負わせながら、一日も欠かすことの出来ない「つらい立場・苦しい立場」の人々への支援事業が続けられてきたことを改めて、今、平常心で語る必要があります。

 グッドウィルグループにおける介護部門が他の会社へ移管されて、受けた側から「利用者の立場にむかって」とか「担い手である現場のプロの職員達」へのメッセージがない。「これでいいの?」と思うことこそ、福祉介護現場の根源的な不可思議さに、思いをはせなければならないのでしょう。

2007年10月15日

福祉介護サービスの経営とは、単なる接客業ではありません。一つには国のお金が半分投入されています。二つには介護保険というものは強制保険といいまして、入っても入らなくてもいい任意保険ではありません。ですから、使う側も、仕事としている側にも、国民全体が目を注いでいます。単に役所に取り締まられるから動くことではなくて、 職業として事業所を開設する経営者自らが福祉、介護に深い研さんと、人が人を支えることの意義とビジョンがあることは当然であるはずなのです。 それなくして、会社だから利益を出すことが先決なのだよとか、事業所を沢山持っている会社の社長の方が立派だよと云う風潮が、ひょっとこの8年の間に広まったのではないかと思われます。それはこのところ、営業に廻って来られる方が「本社は東京の××にありまして」とおっしゃるのを聞くのです。本社が東京のどまん中にあることが、社会的信用にはつながりません。

 本当は利用者は、自分が動けるものならば人には頼みたくないのです。遠い親戚より近い他人、たすけあいの精神で創られたこの保険だって「使わせてもらって申し訳ないよ」と口に出される方もいらっしゃいます。働く人にはそれなりに交通費もかかりますし、働く人の生活が成り立たなくてはなりません。そして経営者は、これからもっと苦しい立場、つらい立場の人を見つけて、手を打ってゆかねばならない企画と方策のためにこそ、有効なお金の使い方を致したいものです。それは、今の実情をよく視て、観察して分析しているうちに、この世には、いつの時代にも、社会福祉問題が潜んで存在いたします。そして民間の良さというものには、良いことにはを早く手がけることが出来るのです。実践現場を見下したりする経営者があってはならない世界なのです。

 経営と云うからには、入るお金と出るお金のバランスが必要なのですが、われらの業界ではこのところあちこちの組織がバランスを崩している理由が、私も経営者の一人として、トップの責任と思います。
 物を作って売る仕事ならば、一つのモノの開発、例えばビ-ルの新しい銘柄が開発されたとします。その銘柄が旨いと評価されますと、全国展開で、倍倍と売れていきますし、食品は一度信用を得て、同じモノを現場で作り続ければ、何度も買っていただけるものです。製造するためにかけたお金は、倍倍の人材を増やさなくても取り戻すことはできるでしょう。

 福祉、介護の業界で大きな資本金を動かしたい会社が、立派な設備で、ハコものといわれるもので、儲けを測りますが、そこに働く人が 日本列島すみずみまでそこの会社だけ質にバラツキのない状態にすることは不可能であります。 人が働く場所と云うのものは地域社会に限られていますから、地域社会の教育レベルや、人情、職場意識などどこの会社も等しく受容して生きていかなければなりません。会社のブランドと云うものは成り立ちません。
 製造工場や、モノの売り買いとは全く違って、経営者自らが「ヒト」を幸せにする仕事の誠実性、時代性をこそ、常に確実なものを持って、実践現場とつないでいなければ成り立たないのであります。

 介護のお客様は神様ではないし、1人づつ増えたり減ったりします。多様な個性を表して、行政の意図や制度にかかわりなく、恒久的なニーズと新しいニーズを持ってきて下さるわけです。人間の生活を支援すると云うことは、あるべき姿とある姿の違いを認めながら、対応してまいらなければなりません。措置の時代から見れば、現場は人間の尊重についてとても深まっています。介護保険制度を私ども民間人が荷なってゆくべきではあります。がしかし、働く人も、荷われる人も、経営者も等しく法律を学び行政、政治に眼をそそぎソーシヤルアクションも大切でしょう。何故ならば介護保険を開発したドイツよりも発展したわが国にあって、世界初の実験なのですから。

2007年11月15日

2.ケアマネージャー(居宅介護支援専門員)の効用
(1) 傾聴と説明
 私は、ソーシャルワーカーの基本として「利用者の自己決定の原則を尊重する」と言うものを若いときからたたきこまれてきました。「利用者本位」と言う言葉も、介護保険制度以降、特に言われ始めました。けれど実際には、支援する側、される側、両者にわが国ではスムーズに流れない特有の人間関係があるように思われます。

もともと「個人の確立」とか、自分で適格に選択して「決定判断」してゆく生き方を、日本人である私たちはしっかり身につけていないように思います。特に高齢であればあるほど、ごちゃごちゃ云わない人間が好まれるとて、なかなか本音が出なかったり、人に「従う」ことの方に慣れている場合が多くあります
「自己決定」から遠ざかってゆく教育を受けてきたように思えるのです。私ども日本人は、「反抗する」「我を通す」「反発する」「すねる」といった「甘え」から「変形」したものとして、被害者意識に走ってしまう傾向があります。「あれが悪い」と、加害者は必らず他者になります。そんなわけで、人間が人間にむかう、公の仕事の一翼を荷なうケアマネージャーの対人支援は、この書類、あの書類と沢山あって、説明をしなさい、ハンコをもらいなさいと云うことになっています。

 ケアマネージャは医療、福祉分野で5年間を経た人は試験を受けて専門職となります。社会福祉士、保健師、の他にに看護士、介護福祉士、歯科衛生士、ヘルパー、栄養士。マッサージ師・・・。と
「こうしなければ、ああしなければ」と云うことで、事業所単位で支援人員数も制限があり、5年ごとに再教育と再登録も課せられています。介護の相談を受けて、計画を立てて、実行してモニタリングを行って、地域社会のネットワークのもとに、情報提供、社会資源、他の事業所との連携、会議の必要、成年後見制度等への対応を行っています。

 その間、自己評価、介護サービス情報の公表での調査、苦情対応、報告、利用者の満足度確認、各種マニアルの整備、利用者の権利擁護、個人情報の保護、重要事項の説明等々が義務付けられています。また介護サービスの評価プログラムの参加、厚生労働省、各種団体、大学アンケート参加などがあります。

 事業所としての現場には、人材育成、運営上の経済的社会的整備も必要であります。いままで全く違う職業についておられた方々が現場にて、経験の乏しい上司に出会われた場合、どんなにか困難なこととなります。

 「実践モデル」が現場には必要であります。特に在宅における利用者は「わが城」に居られます。自分の家に「わずらわしさ」を運んで来る人を好みません。人の訪れはケアマネージャーであろうと「癒し」を与えてくれるものでなければ受け入れたくないでしょう。「病い」や「出来ていたことが出来なくなった」利用者は、支援だと声高らかに云ってもらいたくない心情を持って居られます。

 「むずかしい説明なんてじぶんが聞きたい時に説明してほしい」「ハンコなんて玄関に置いてあるよ」「私の在るがままを傾聴してもらいたいのよ」「やさしい顔をしてほしい。そっと静かに生きてゆきたいよ」「子供達は自分達のことで精一杯で、私は淋しいよ」と云って居られます。ケアマネージャーはこうした利用者の思いの人を訪問するのです。

 説明の前に傾聴が大切です。傾聴にかける時間を充分にとったあとで、制度の長所と必要書類の誘いにどう興味をもって頂けるかと。 これもスキルを要するのではないでしょうか。

2007年12月16日

(2) 利用者とコンプライアンス
 「説明しなければ」「ハンコをもらうために来ました」と気のはやる訪問に対しては、利用者の拒否反応があります。当然、高い教養と社会機構の認識、法律、制度について理解の深いケアマネージャーが訪問していることを期待されています。

 利用者から質問を受けたときに、その質問にていねいに適格にやさしく応じられる内容を包含している必要がありますし、質問に持ってゆくチャンスをつくる必要もあります。しかし聞きたくない利用者の表情にも気がつかず無理に役割とばかりに押し付けるには迷惑があります。

 近来特に、国や地方公共団体のお金を節約しなければならない為の、3年ごとの見直しで介護報酬が下げられてきました。それ故に特に現場のケアマネージャーが利用者にその旨をお伝えする役になってしまいました。けれど考えてみましても、介護保険法の条文が変わったわけではありません。介護保険法そのものの理念も当初から8年間何ら変わってはおりません。コンプライアンス(法令順守)に対する姿勢も大かた現場人が無視して動こうとは考えていないはずです。

 「会社を大きくしたい、お金を増やしたいなどと支援現場人が考えることではありません。殆ど真面目な人材が多く存在してきたことを世間も又認めて頂いている筈であります。

 しかし又ケアマネージャーは相談業務を全うする為の大いなる役割を今こそ再認識して、出直す時期を迎えていることも確かなのです。訪問介護や入浴サービス、通所介護、通所リハビリ、ショートスティ
・・ 特に訪問系の介護サービスを一つの舞台ととらえた時、責任あるプロデューサーであると共に、組織にとっては看板を荷うわけでもあります。ケアマネージャーは事業者に雇われて、あるいは事業者そのものとして存在するものです。これからも「公」で全ケアマネージャーを公務員にすることはないでしょう。

 高齢者は大いなる過去を持ち、重い人生の一人の個人をどの方でも尊重してもらいたいと思っています。障害者は特に家族の多くの葛藤の中ではぐくまれ、社会的に弱い立場として自立支援法の小さな枠の中で息をひそめて生きて居られます。

 お一人づつの「語り」や「表情」の中から幸せに向っていただきたい願いを込めて接する一番バッターがケアマネージャーであります。この利用者の方々はそこの組織が法令順守で動いているかどうかのモノサシは敏感に持っていらっしゃる筈です。何故ならばこれほど事業所はお金をかけて情報公開が有効に働くように積極的に参加しているわけですから。

 確かに核家族に、単独化した高齢者、障害者のご家庭にあっては情報がゆきわたらない場合もあります。そんな時こそ、ケアマネージャーが自信をもってご説明できる必要が生まれるのではないでしょうか。

2008年1月15日

3. よい訪問介護へ
(1)訪問介護の質を考える
 居宅サービスに該当するホームヘプサービスは、介護福祉員2.5人以上で事業所が成立します。
会社の規模に関わらず事業所のヘルパーさん不足は何処も大変で不足なるが故に質の向上に向け
る努力がままなりません。私共では平日夜間や土曜日にむけて毎月の現任研修を行っていますが、研修日に活動が重なっていることが多く、例えば介護福祉士の試験を受ける為に何人かのヘルパーさんが休めばその穴埋め に追われることは終始つきまとうこの仕事の、過酷な状況にあります。

 かって私はスエーデンにおいて若いヘルパーさんが実にサバサバと高齢者に触れ合っているヘルプ活動を見学」させて頂きましたが、靴を脱がない文化のホームヘルプ活動は、わが国とは全く違ったものになるのだと実感したものでした。例えばスエーデンではよく「学生時代にアルバイトで実践しました」と聞き及びますが、わが国では大学生や専門学校生が2級ヘルパー養成を受けてホームヘルパーのアルバイトを、もし沢山やって下さればと私は思うのですがむずかしいのです。かって赤十字奉仕団のボランティアーでも、東京大学の学生が多く存在した時代がありました。この処東京大学の学生は少ないと伺っております。

インターネット、テレビ、携帯電話といったメカ情報の中で人と直接まじわる前に、個室から個室に向ってメカをはさんで人と接することになっていて「人」と「人」との関係を直接結んで仕事をする、しかも玄関で靴を脱いで上がって、時間を掛けて他人様と接するこの訪問介護(ホームヘルプ)の仕事人が10年前に比べて、はなはだ将来性にとぼしい感がいなめません。
もし若い世代から、我が家を飛び出して他人とかかわることで「お互い様」意識が高揚するならば、本当は若いホームヘルパーさんこそは「行う側」も「来てもらう側」もそして社会そのものが活性化するに違いないのです。

 「行う側」は、わが親、わが学校や習い事で得た小さな世界から離れて、”こんな家庭も””あんな障害者も”生活されている生きた社会を見たり聞いたり、学校で学んだりすることになります。
「訪問してもらう側」からは、若いから下手な支援テクニックにも我慢をして頂きながら、しかも「若さ」と云う元気さをもらって自力生活をクオリティ化することにつながることでしょう。私共のところでは、事務員さんとして働いて下さる方の殆どが、2級ヘルパー認定資格をもっておられるのですが、実際に良い人柄の人とも、人間関係に不慣れなために、在宅ヘルパーさんとしては仕事にならない場合があります。

 訪問介護員と云うものは、その家庭にふさわしい品格や倫理をもつことは勿論のことで、教養、知恵の裏づけと共に、人間関係訓練をくりかえし学び続けるものです。決してお金だけ稼ぐことを目的として訪問するものではありません。更にスキルが上がってゆくプロセスでは報酬が上がってゆくしくみを根本的に考え直す必要があります。